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まーくらさん、まーくらさん



先日伯母が亡くなった。
伯母は父の姉で81歳だった。
父は9人兄弟で大阪で暮らしていたのは父とその姉だけだった。
今、父の住む実家からよりも、私が今住んでいるところからのほうが伯母の家は近かったのに、私の十数年前の結婚式に来てくれて以来一度も会っていなかった。
病院に入院中などではなかったので、死の知らせは突然だった。色んなことを決めるのに父も母も悲しむ余裕もなく色々なことに追われた。私もその決まったことに合わせて動けるように様々な段取りなどに追われた。

そんななかふと思い出した。

私が小学3年生くらいのときだったか、鹿児島の田舎まで伯母と二人きりで帰ったことがあったことを。
夏休みの数日間、伯母が田舎に帰るというので私ひとりがついていくことになった。今もそうだけど、出かけ好きな私は親と離れて数日間過ごすことはそんなに苦ではなく、むしろとても楽しみに新しく買ってもらったボストンバックに荷物を詰めて飛行機で旅立った。親戚宅をあちこち回ったり買い物に行ったり、大好きな海にも連れて行ってもらい、親戚一同の大宴会にも参加。楽しかった数日はあっという間に過ぎていよいよ大阪へ戻るべく、空港で搭乗手続きをする伯母の後ろのほうで待っているとなにやら様子がおかしい。大声で係員に文句を言っていた伯母が私の方に来て、「今日は帰られへんわ。乗られへんねんて。」と言った。それを聞いた途端、当時9歳の私は急に里心がついて泣き出してしまったのだ。行くと決めたときも行くときも滞在中も決して出てこなかった気持ちがひょんなことで噴出してしまった。泣いては恥ずかしいとはわかっていても、嗚咽するほど泣いてしまったのを今でもはっきりと覚えている。「明日の朝一番の飛行機をキャンセル待ちして乗るからな。おばちゃんとホテルに泊まろう。」伯母はそう言うと、エアポートホテルの部屋を取り、ホテルのレストランでご馳走してくれた。「好きなもん食べていいから頼みや。」という伯母の言葉通り、スープ、パン、メイン・・・と自分でフルコースを作り上げて注文し、それを食べているとだんだんと泣きたい気持ちがほぐれてきた。満腹になって部屋に戻ると、「明日は5時に起きるからな。はよ寝なあかんで。」伯母はそう言って私をベッドに促し、ちゃんと起きられるようにと「まーくらさん、まーくらさん。明日5時に起きれますように、1、2、3、4、5。」と歌うように唱えるように声を出し、1、2、3、4、5のところでポンポンポンポンポンと5回枕を叩いてひっくり返した。「これで明日大丈夫。おやすみ。」嗚咽するほど泣きたかった私は笑いながら眠りにつき、翌朝は驚くほどきっちり5時に目が覚めた。キャンセル待ちをして無事飛行機に乗り、大阪へ帰り着いた。その後親戚中に私が帰れなくなって大泣きしたことが知れ渡り、何年も何年もことあるごとにその話が持ち出され、辟易したことは後の話。ただ、早起きのおまじないはしばらくずっと信じ込んでいたという思い出。

そんなことが、もう何十年も前のそのことが、お葬式の段取りができるまでの間にざざーーーーっと思い出された。伯母には子どもがなかった。その数日間はわが子のように思って過ごしてなだめすかしてしてくれたのかと・・・。

綺麗に死に化粧をされた伯母をたくさんの花でうずめてやりながら「おばちゃんあのときはありがとう」と別れの挨拶をした。






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